虚しさを覚えた休日の話

南を過ぎた陽が照らす街並みを通り過ぎながら、どことなく寂しさを感じた。

気づけば車を運転するようになり、それなりに乗っているせいか周りの景色を見る余裕すらも出るくらいの年齢になってきた。一生止まることのない時間というものは不意に現実をつきつけてくるからひどいやつだと思う。

寂れているなりにも育った環境なのでそれなりに愛着はあるが、黄色く照らされた街並みはどことなく終わりが見えてくるようで、未来が塞がっているような自分と重なり、まるで鏡を見ているかのような気分になった。虚しさのようなものが胸の真ん中で大きくなっていくような気がした。学生時代、この街をバスの窓から眺めていたときはこんなことなんてなかった、はず。

なんとなく悲しさを覚えたのでそれを晴らすためにこうやって形に残そうと思い手を進めている。

 

休日、めったに家から出ることはなくなったのだが、この間久しぶりにショッピングをした。別に理由はなかった、ただ気が向いただけ。行くあても特に決めずとりあえず車を動かした。街に出たので、久しぶりに思い出の店にでも行こうと思いハンドルを切った。

自動ドアをくぐる瞬間に訪れる匂いで興奮していた、大きな書店に立ち寄った。勉学に励んでいた頃はただその空間にいるだけでときめいていた。漫画や小説をあさり、新譜を試し聞きし、好みのものを探すのに平気で1時間以上は過ごせていた。いわば自分にとっての小さな楽園だった。なのに、今では何も感じない。なんなら早く出たいとさえ思ってしまった。理由は分からない。

コーヒー店にも行った。カウンターのお姉さんに違いを尋ね、よく分からないなりにも買っていたコーヒー豆。あのとき感じていた、選ぶ際のワクワク感などはもうなく、無難にいつも買っているものを注文、ついでにシュガーも購入という一連のルーティーンだけをこなすだけの機械になっている。やはりそこにも感情はない。買い物なんて時間を気にせず自由にやっていたはずなのに、気づけば駐車場代を気にしてささっと済ませている自分に悲しくなりながら帰路につく。

帰りながら、まだ明るさが残っていたから小さい頃よく遊んでいた公園に寄った。社会に旅立つ前に寄ったきりだったので約5年ぶりほど、自分は果てしなく転落したがこの公園は変わらず佇んでいるのだろう、懐かしさを味わいたいと思い足を運んだ。この瞬間だけは少し心が弾んていたと思う。

変わっていた。好きだった景観はまるごと伐採され更地になっており、遊具は変わっていた。大学デビューしていた元友人を見たときと同じくらいの衝撃だった。幼少期の記憶の断片はそこにはなく、いても悲しさを得るだけだったので足早に車へ戻った。

 

コンビニで安酒を買い、家にあるもので適当に飯を作ってニュースを見ながら食事をする。よく分からん専門家がありきたりなことを並べながら社会について語っていたような気がする。それを聞き流しながら無心でもさもさと米を口にした。

 

酒のおかげでいい感じに酔ったのでシャワー済ませ、スマホを片手にベッドに潜る。よく分からない動画をぼーっと眺めながら翌日の目覚ましをセットし、夢の世界に旅立った。

 

結局感情がマイナスの方にしか動かない1日ではあったが、久々に外出したしそこそこ運転したしでまあ悪くない休日だったと思う。次は楽しい休日を過ごしたい。